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あえて「不便」や「不自由」を体験する意味とは?

生活の余白
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思い付きのキャンプで感じた「不便」

先日、主人の思い付きでキャンプに行ってきました。

キャンプに行くと、やはり「不便」だと感じます。

私は虫が苦手で、蟻や蛾などが視界に入るたびに「嫌だなあ」と思ってしまいます。
お手洗いも、決して清潔とは言い難く、なるべく使いたくない気持ちになります。
手が汚れても、すぐに石鹸と清水で洗えるわけではない。

何をするにも一手間かかるその環境は、普段の便利な暮らしと比べて、やっぱり「不便」だと感じました。

不便の中で見つけた感謝の気持ち

けれど、不便を味わったからこそ、帰宅したときの安心感はひとしおでした。
当たり前のように感じていた日常のすべてが、「ありがたい」と心から思えたのです。

でも、今回のキャンプで私が感じたのは、ただ単に「便利さのありがたみを再認識した」ということではありません。

心と体に沁みる時間

あえて「不便な体験をしよう」と思ってキャンプに行ったわけではありません。

火をおこし、暗くなる空を眺め、虫の音を聞きながら眠り、朝日で目覚める――
そんな一連の流れが、何とも言えず心と体に沁みるのです。

整備されたコンクリートの道路を歩き、空調の整った空間で暮らすのは、間違いなく「生きやすい」ことです。

けれど、時には土を踏みしめ、自然の中で過ごすことで、心の奥にある何かがリセットされるような感覚になるのです。

不自由の中で育まれる人間関係もある

この体験からもう一つ思い出したのは、人との関係についてです。

たとえば結婚。
恋愛と違って、結婚は「自由」ではなく「不自由」になる側面があります。
長く身近にいることで、価値観の違いや生活習慣のズレが表面化し、軋轢や不満が生まれることもあるでしょう。

そうした「不自由さ」や「面倒さ」を避けて、自由な生き方を選ぶ人もいますし、それも尊重されるべき生き方です。

けれど最近、私は思うのです。
あえて不自由を受け入れ、ぶつかり合いや葛藤を乗り越えた先に、深まる関係性や育まれる絆もあるのではないか、と。

便利と不便、自由と不自由、そのどちらも尊い

便利な暮らしを手放す必要はないと思いますし、自由な生き方を否定するつもりも全くありません。
自由であることは、私にとってとても大切なことです。

ただ、「不便」や「不自由」を避けるだけでは得られない、奥深い豊かさが確かに存在する。
キャンプという非日常の体験を通して、そんなことを改めて感じました。

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