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なぜアナログか、という話:紙のノートが好きである

文具の余白

今回のテーマは「なぜアナログか?」。

なぜなら、電気が要らないから。エコです!
さらに、デバイスも要らない。セコ(倹約)です!!

……なんて、まあ冗談は置いておいて。

スマホやパソコンは、現代の生活において欠かせない便利な道具です。
私自身も日々その恩恵を受けているひとりです。
でも、それでも私は、あえて紙とペンを手に取る時間を大切にしています。
なぜかというと、ふとした瞬間にノートをパラパラとめくって、過去の自分に会いに行く――その感覚がとても好きだからです。

「でも、デジタルでも見返せるじゃないか?」というご指摘、ごもっともです。
クリックすれば、スクロールすれば、過去の記録にすぐアクセスできて、検索もできて、とても便利です。

でも私にとって、クリックやスクロールと、ノートをパラパラとめくる感覚は、まったくの別物でした。

スクロールは“情報を追いかける”動作。
どうしても情報が断片的に感じられてしまいます。
画面の向こう側に点在する記録を、指先で次々に拾い上げていくような――そんな印象です。
手は動いていても、そこには「触れた」実感が薄く、記憶にも残りにくいと感じることがあります。

それに対して、紙をめくるという行為は、“記憶に触れる”動作。
実際に紙に触れ、音を聞き、インクのゆらぎを感じながら、少しずつ過去に戻っていく感覚があります。
筆跡の乱れにその日の焦りを思い出したり、にじんだインクに湿気の多い季節を思い出したり。
紙には、文字だけでなく、その時の空気や気配、感情までもが折り重なるように残っていて、
まるで何層にも重なった記憶のレイヤーがそこに眠っているかのようです。

実は以前、デジタル日記も試したことがありました。
アプリを開けばすぐ書けるし、検索機能もあって便利そうだと思ったのですが、どうにも続きませんでした。
どこか“つながり”が感じられなくて、気持ちが乗らなかったのです。

一方で、紙に手を動かして書くという行為には、流れや余韻があります。
言葉が自分の中から自然とにじみ出てくるような、そんな感覚。
ノートの上で文字を綴ることで、少しずつ気持ちが整っていく――そんな時間が、今では私の習慣になりました。

私は紙が好きです。
ページをめくる音、書いたあとに残るペンの跡、時間とともに少しくたびれていくノートの表紙。
どれも味わい深くて、なんだか励まされるような気持ちになります。
気に入った紙を使って、自分だけの記録を少しずつ積み重ねていく。
それは小さな贅沢でもあり、日々のささやかな楽しみでもあります。

そして、そんなふうにして書き溜めたノートが増えてくると、次に浮かぶのは「使い終わったノート、どうしよう?」という悩み。
これがまた、なかなかのテーマなのですが、それについてはまた次回にでも。

読んでくださって、ありがとうございます。

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