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ノートとの距離感を見直す|きれいさより「書くこと」を大切にする習慣づくり

文具の余白
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学生時代から続く「きれいに書きたい」気持ち

学生の頃から私は、ノートは常にきれいに書きたいと強く思っていました。
見やすく整ったノートは勉強のモチベーションにもつながるし、後から読み返したときにも気持ちが良いからです。

しかし、この「きれいに書きたい」という気持ちは、時に自分自身を縛るものにもなります。
文房具やノート時間が趣味になってからも、「丁寧に」「美しく」書くことばかり意識してしまい、逆にノートを使いこなせていない感覚を抱くようになっていきました。

丁寧に書けない時の葛藤

ノートに向かう時、いつでも落ち着いて丁寧に文字が書けるわけではありません。
考えをざっとメモしたいとき、忙しくてスピード重視で書きたいとき――そんな場面では、どうしても文字が乱れてしまいます。

それでも私は長年、そうした「乱れた文字」を許せませんでした。
ノートがきれいに保てないと不快になり、最悪の場合、そのノートごと捨ててしまいたくなる衝動さえあったのです。

乱れを受け入れられるようになったきっかけ

ところが最近になって、自分の中で少しずつ変化が起こっています。
「できるだけ丁寧に書こう」という意識は残しつつも、多少の乱れは許容範囲と考えられるようになったのです。

それよりも大切なのは、「書くこと自体を続けること」。
文字の美しさよりも、思考や感情をノートに残すことの方が価値があるのだと気づきました。

バレットジャーナルで再挑戦

私はいま、ダイソーのPUノートB6を使い、バレットジャーナルのような雑記帳スタイルを試しています。
やることリストや予定管理に加えて、考えたことや感じたことも気軽に書き込むようにした結果、筆記量がどんどん増えてきました。

その一方で、書いた内容が雑多になればなるほど「このページは残したくない」と思う瞬間も出てきます。
以前ならその衝動に従って破棄していたかもしれません。
しかし今は、「それでもいい」「まずは挑戦してみよう」という気持ちを持てています。

ノートは「きれいにまとめる」ためのものじゃない

私がたどり着いたのは、ノートをきれいに使うこと自体を目的にしないという考え方です。
大事なのは、ノートを使うことで暮らしや思考がよりよく回ること。

もし最終的にノートを破棄することになったとしても、それを通して日々の生活が改善されたなら、それは十分に意味のある使い方です。

むしろ「きれいに書かなくては」と思わないほうが、ノートをもっと自由に活用できるようになると感じています。

ノートとの新しい距離感

ノートを美しく保とうとする完璧主義を少し手放すことで、私はようやく「ノートを使いこなす感覚」に近づけてきました。
乱れていても、走り書きでも、それは私の思考や時間の記録です。

これからも、ノートに求めるのは「きれいさ」ではなく「暮らしを支える道具」としての役割。
そんな距離感で、もっと気楽にノートを続けていきたいと思います。

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