インスタグラムを始めたきっかけは、ゆるやかな交流への期待
今年の秋、私はインスタグラムを始めました。
きっかけはとてもささやかなものです。
文房具が好きな方たちと、投稿に「いいね!」を押し合いながら、ゆるく交流できたら楽しそうだな、というぼんやりとした期待でした。
いわゆる「発信したい」「認知されたい」といった強い動機はなく、同じ趣味を持つ誰かと、言葉少なに気配だけを感じ合えたらいい。
そんな淡い目的でのスタートでした。
現実はフォロワーゼロ、いいね!もほぼゼロ
ところが、現実はなかなか厳しいものでした。
投稿を重ねてもフォロワーは増えず、いいね!もほぼゼロ。
交流どころか、誰の目にも触れていないような状態が続きました。
正直に言えば、「当初の目的からすると完敗」です。
途中で「もういいよね」「いっそやめてしまった方が楽かも」と思ったことも、何度かありました。
続けられた理由は「目的が変わった」から
それでも私がインスタグラムを続けられているのは、途中で目的が変わったからです。
最初は「文房具仲間との交流」でしたが、今の目的ははっきりしています。
英語日記を毎日続けること。
今では、インスタグラムは誰かに見てもらう場所ではなく、
「一日一ページ、英語日記を書くための装置」のような存在になっています。
反応がないからこそ、気楽に続けられる
私の投稿は、ほぼ誰の目にも届いていません。
でも不思議なことに、それがまったく気にならなくなりました。
いいね!がつかないことも、フォロワーが増えないことも、
今の目的にとっては何の障害にもならないからです。
映える写真を撮ろうとか、字をもっときれいに書こうとか、工夫できる余地は確かにあります。
けれど今は、「英語日記を続けること」を最優先にしています。
一度挫折した英語日記が、今度は続いている理由
実は、今年の初めにも英語日記に挑戦していました。
けれどその時は挫折しています。
「今日はまあいいか」という一日の甘えが積み重なり、
気づけば、書かないことが当たり前になってしまいました。
それが今では、インスタグラムに投稿するだけで、
100日続けることができました。
完璧でなくても「続けた」という事実が残る
もちろん、完全に毎日リアルタイムで書けているわけではありません。
インフルエンザに罹ったときには、回復後にまとめて日記を書き、投稿したこともあります。
それでも、「やめなかった」「続けた」という事実が残っています。
完璧さよりも、継続を優先できたことは、私にとって大きな意味がありました。
本来の目的から外れても、続ける価値はある
当初思い描いていたインスタグラムの使い方とは、正直かなり違います。
それでも今は、胸を張って言えます。
目的が変わっても、続けてよかった。
誰にも見られていなくても、反応がなくても、
自分の習慣を支えてくれる場所として、インスタグラムは十分に役割を果たしてくれています。
これからも英語日記を続けよう
フォロワー数やいいね!の数では測れない成果があります。
それが、100日分の英語日記であり、「続けられた自分」という実感です。
本来の目的とは違うところで、
今日も私はインスタグラムに、静かに一投稿を積み重ねています。


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