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ポケおりのある暮らし|ふとした時間が心の安らぎに変わる

裁縫の余白
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ふと気が向いたときに「ポケおり」

9月末にお迎えした ポケおり。
日々の暮らしのなかで、ふと気が向いたときに少しずつ織っています。
糸を通して、トントンと織っていく時間。始めると不思議と心が落ち着いていく感覚があります。

SNSを開くと、たくさんの情報があふれていて、気づかないうちに心が疲弊してしまうこともあります。
でもその時間を、ほんの少しでもポケおりに置き換えると、気持ちが安定するように思うのです。
「ちょっとした手仕事」が、心のバランスを整える時間になっています。


何にするかは、まだ決まっていない

ポケおりで織った布を何に使うかは、実はまだ何も考えられていません。
ある日、次男に「これ何にするの?」と聞かれて、
「何にするんだろうね?」としか答えられませんでした……。

目的があるわけでもなく、実用性もまだゼロ。
だけど、こうして少しずつ手を動かしている時間が、ただただ楽しいのです。


「意味がないこと」が、今の私の癒し

若い頃の私は、「非生産的な行動はなるべく避けたい」と思っていました。
でも今は、「こういうちまちまとした作業が好きな性分なんだな」と、自然と認められるようになりました。

何かを効率よく大量生産したいわけではなく、
自分の手を動かすことそのものが心の安らぎになっている——
そんなことを、最近しみじみと感じています。


手仕事の楽しさと、ちょっとした悩み

糸を織っている時間はとても楽しいのですが、唯一ちょっと億劫なのが「糸処理」。
織り終わったあと、端の始末を後回しにして、ついそのままにしてしまっています。
これは手仕事あるあるかもしれませんね。

でも、こうして織った小さな布たちを何にするかを考える時間も、
きっと私にとっての大事な楽しみになるのだと思います。
すぐに完成形を決めなくてもいい。
「どうしようかな」と考えながら、また次の一枚を織っています。


手を動かすことで、心がほどける

大量生産された製品の方が、効率もコストも合理性もあることは百も承知です。
それでも、あえて時間をかけて手を動かすことでしか得られない喜びがあります。
手仕事は、私にとって心を整える“ちいさな習慣”のようなものです。

この先、ポケおりで織った布たちが何になるのかは、まだわかりません。
でも、それでいいのだと思っています。
目的がなくても、心が落ち着く時間を持てること自体が、何よりの価値です。


おわりに|「つくる時間」を大切にしたい

これからも、ふとした時間にポケおりを織っていくつもりです。
完成品にこだわるよりも、手を動かす時間そのものを楽しむことを大切にしていきたい。
そんな気持ちで、今日も少しだけ糸を織ってみようと思います。

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