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余計なものを付けたそう|無駄の中にある豊かさ

生活の余白

効率がすべてじゃない?

最近、息子たちが登校前に見ているNHKの「0655」で、DASOKUという曲が流れていました。
その中に出てきた「付けたそう余分な情報」というフレーズが、なぜか心に残りました。

一見、「余計なもの」というのは、取り除くべき無駄のようにも思えます。
けれどその言葉を耳にして、私はふと考えたのです。
――無駄なことって、本当に必要ないのだろうか?と。


リベラルアーツに触れて感じた「無駄の価値」

最近、リベラルアーツをテーマにした動画を目にする機会がありました。
そこでは、日常生活を送るうえで直接役立つわけではない知識や洞察が紹介されていました。
けれど、それらはどこか心を刺激し、世界を見る視点を広げてくれるものでした。

お金や効率だけでは測れない「学び」や「好奇心」。
それこそが、人が人として豊かに生きるための“余計なもの”なのかもしれません。


「要領の悪さ」も悪くない

私はこれまで、物事を要領よく進められる人に憧れていました。
無駄を省き、最短距離で成果を出すことが賢い生き方だと思っていたのです。

けれど最近、「スマートに」よりも「泥臭く」「一生懸命に」取り組むことの価値を語る人の話を耳にしました。
それを聞いて、あらためて思いました。
要領が悪いことは、決して悪いことではない。
むしろ、試行錯誤を重ねながら工夫し、あきらめずに前に進む姿こそ、人生を豊かにするものではないかと。


AIのように生きることは幸せか?

効率的で、無駄がなく、常に最適解を選び続けるAIのような生き方。
それは一見、理想的に見えるかもしれません。

でも、もし本当にすべてをAIに委ねてしまったら――。
私たちの心は満たされるのでしょうか。

たとえ非効率でも、自分の手で考え、悩み、寄り道しながら進むこと。
そこにこそ、人間らしさや喜びがあるように思います。


無駄を楽しむ生き方

私は、取るに足らないような「無駄なこと」が好きです。
例えば、意味のないように見える手作業。
それらは直接的な成果を生むわけではないけれど、確実に心を整え、日々を豊かにしてくれます。

リベラルアーツも、まさにその延長線上にある気がします。
すぐに役立つわけではないけれど、長い目で見れば生きる糧になる。
そんな「余計なもの」こそ、人生に深みを与えてくれるのだと思います。


余計なものを付けたしてみる

無駄を削ぎ落とした最適解で生きることも素晴らしい。
けれど、あえて余計なものを付け加えながら、試行錯誤していく生き方もまた、悪くない。

「これが正解」「これが最善」と決めつけるのではなく、
あれもいいし、これもいい――そう思える心の余裕を持っていたい。

きっと、そんな中にこそ「人間らしさ」や「幸せ」が息づいているのかもしれません。

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