刺し子の途中経過報告
一昨日から作り始めた刺し子が、ようやく完成まであと一歩というところまできました。
布の上に少しずつ模様が浮かび上がってくる時間は、静かで穏やか。
針を動かすたびに、心まで整っていくような感覚があります。
しかし「刺し子」という言葉を耳にすると、いつも思い出す出来事があります。
高校時代に経験した刺し子の課題
それは私が高校生だった頃のこと。
家庭科の授業で、刺し子の課題が出されました。
授業時間だけでは終わらず、家に持ち帰ることになったのですが、自分で仕上げる余裕がなく、結局母にお願いして完成させてもらったのです。
なぜ自分でできなかったのか。
テスト勉強で忙しかったのか、ただ単にやる気が出なかったのか、その理由はもうはっきりとは思い出せません。
けれど「自分の手で仕上げなかった」という事実だけは、今も鮮明に覚えています。
記憶に残り続ける理由
私はあまり記憶力の良い方ではありません。
それなのに、なぜこの出来事だけがずっと心に残っているのか、不思議でなりません。
振り返れば、高校生の私はとても多感で、進路や人間関係などさまざまなことに悩んでいました。
母は小さい頃からずっと手芸を楽しんでおり、その姿を身近に見て育った私は、手芸に興味を持ちつつも「趣味を仕事にしても生活は成り立たない」と考えていたように思います。
だからこそ、母に頼ってしまった自分をどこか後ろめたく感じ、それが強い記憶として残っているのかもしれません。
手仕事が与えてくれる安心感
今も生活に大きな余裕があるわけではありません。
もっと他に注力すべきことがあると分かっています。
けれど、それでもこうして手仕事をしていると、不思議と心が救われます。
針を刺して糸を通すという、機械の方がはるかに得意であろう単純な作業。
そんなことをしている自分を、冷ややかに客観視するもう一人の自分もいます。
それでも、作業を続けていると心が落ち着き、静かな充足感が得られるのです。
趣味とは「抗えない楽しさ」
振り返ってみると、こうして心を落ち着け、自然と時間をかけて取り組んでしまうものこそ「趣味」なのだと思います。
理屈ではなく、やめられない・とまらない。
その抗えない楽しさを与えてくれるのが、私にとっての刺し子です。(手帳やノートもです。)
完成まであと少し。
高校生の頃には見えなかった世界を、今の私は楽しみながら刺し進めています。
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