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性懲りもなくノートを開く:それでも書き続ける

文具の余白

雑記帳を再開して、また破る日々

最近、また雑記帳を書き始めました。
でも、早速、最初の1ページを書いては破り、また書いては破り……そんなことを繰り返しています。

「またやってしまった」と思いながらも、それでもやっぱり、やめられない。
書きたい気持ちは消えないんです。
形にならなくても、意味が見いだせなくても、なぜかノートを開いてしまう。

100%完璧な雑記帳を求めてしまっていた

ふと、こんなことを思いました。
私は、雑記帳に完璧さを求めすぎているのではないか、と。

どこを切り取っても有益で、役に立ち、何かの価値がある。
そんな「意味ある言葉」だけで埋め尽くされた雑記帳にしたいという気持ちが、どこかにあるのかもしれません。

でも、雑記帳とは本来「雑多で、とりとめがないもの」。
そこに完璧を求めるなんて、そもそも矛盾していますよね。

書くこと自体に意味がある。不要でも無用でも、とにかく書く

「この文章は意味があるか」「読む価値があるか」
そんな基準でノートに書くことを選んでしまうと、何も書けなくなってしまいます。

だから、もう少しだけ視点を変えてみようと思いました。
意味がなくてもいい。
無駄でもいい。
とにかく書いてみる。
破っても、また書く。それを繰り返す。
(できれば破りたくはない……)

そうやって積み重なった雑記の中から、もしかすると、ほんの少しだけ「光る何か」が生まれるかもしれない。

それは文章として優れているとか、役立つとか、そういうことではなくて——
自分にとって「残したい」と思える言葉。
誰かに「届く」と感じられる言葉。
そういうものが、一枚のページの中に宿っているかもしれないなと。

何度挫折しても、何度でも再開しよう

完璧でなくてもいいし、意味がなくてもいい。
ぐちゃぐちゃの思考でも、矛盾していても、機嫌が悪くても、何も思い浮かばなくても、それでもいい。

書くことに疲れてやめたっていい。
でも、また書きたくなったら、戻ってくればいい。

書いていると、書いていないときには考えなかった心の声が聞こえてくることがあります。

自分のことは、自分が一番わかっている、ようで、実は自分でもあんまりよくわかっていない。
その状態で、たくさんの情報に日々さらされていると、ただ反応するだけの毎日になっています。

自分自身の脳トレとしても、完璧を目指さず、もっと気楽に、雑記していきたいと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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