バレットジャーナル風ノート、2年以上続けて見えてきたこと
バレットジャーナル風のノートを始めてから、気づけば2年以上が経ちました。
最初は手帳術の真似ごとのような形で始めたこのノートですが、使い方を試行錯誤するうちに、だんだんと自分に合ったスタイルへと落ち着いてきました。
「継続は力なり」とはよく言いますが、続けることで見えてくるもの、感じることの変化は確かにあります。
たとえば、今の自分にとって何が大事なのか。
どんなことに時間を使い、何を後回しにしているのか。
ノートに記してきた「日々の自分の軌跡」から、そうした傾向が少しずつ浮かび上がってきます。
使い終えたノートを「手放す」という選択
そんなバレットジャーナル風ノートですが、使いきった8冊を処分する決断をしました。
きっかけは、ノートの使い方を工夫しながら試していく中で、「保管するに値しない」と感じるページが増えてしまったこと。
内容に納得できないままノートを保管しておくことが、私には少し苦痛でした。
もともと「使い終わったノートを保管すべきかどうか」は保留にしていたのですが、今回は「処分する」という結論に。
大切な情報は転記して、新たなノートへと引き継ぎました。
実は、過去にも同じようにバレットジャーナル風ノートを処分したことが度々あります。
今回も、いったんリセットした上で、新しい気持ちでバレットジャーナル風ノートを続けています。
今度こそ、最後まで保管できるように——それを意識しながら、ページを綴っているところです。
10年続いた連用日記と家計簿は、私の「暮らしの記録」
一方で、連用日記と連用家計簿については、保管前提でずっと書き続けているライフログです。
どちらも、もう10年ほど、ほぼ毎日欠かさず記録しています。
連用日記の魅力は、なんといっても**「去年の今日」「一昨年の今日」**の自分と出会えるところ。
季節の移ろい、家族の成長、自分の気持ちの波が、ページの上で時を超えて並んでいくのが面白いのです。
家計簿もまた、我が家の暮らしの歴史そのもの。
どんな時期にどれくらいの支出があり、何にお金をかけてきたか。
これらのノートを長期保管する気持ちに変化はありません。
「変わらないこと」の美徳とリスク
でも、ふと立ち止まって思うのです。
これだけ時代が目まぐるしく変化している今、「ただ継続すること」がリスクになることもあるのでは?と。
紙のノートや手書きにこだわるのは、私にとって自然なことです。
でも、もしそれが生活スタイルや時間の使い方と合わなくなってきたら……?
「変わらないこと」は確かに美徳ですが、それが時には「しがみつき」になってしまうことも。
そんな不安を、正直に感じることがあります。
「変わりながら、続ける」しなやかさを大切に
だからこそ、今後は「変化しながら続ける」ことを意識したいと思っています。
形式やツールにこだわりすぎず、必要に応じて小さくアップデートしていく。
たとえば、
- デジタルの補助を取り入れる
- ノートの内容を月ごとに見直す
- 書く時間帯やルーティンを変えてみる
そうした変化を楽しみながら、「書く習慣」を自分らしく育てていけたらと思います。
継続は、ただの惰性では意味がありません。
変わることを恐れず、それでも大切なものは見失わず、しなやかに続けていきたいなと思います。
おわりに:ノートは変化と成長を映す鏡
ノートや日記は、時に「静かなる旗印」になります。
そこに並ぶ言葉や数字、イラストやシールのひとつひとつが、自分の内面と向き合った記録です。
「変わらずに続ける」ことの尊さと、「変わりながら続ける」ことの柔らかさ。
そのバランスを大切にしながら、これからもノートを開いていきたいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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