無用なことほど好きである、ということを最近自覚しました。
(オヤジには怪訝な顔をされていますが、無用なことをちょこちょここそこそできることには感謝。)
若い頃は無用なものなど不要だ、と距離を置くようにしていました。
しかしながら、最近、無用とか有用とか、その定義は時代によって変わってくるのだと感じます。
取り急ぎ生きていくために無用なことであっても、それを好きという気持ちが貴重で、
そこから生まれるものがいくらかあり、それが有用へと変換されることもあるだろうとも思います。
若い頃は、無感情に淡々とスマートに生きていきたいと思っていました。
それはまるで今の人工知能的な生き方を目指していたのだと思います。
実際には感情的でポンコツでドタバタと生きるしかなかったのですが、それが今
人工知能との差別化になりうるのではないかなどと。←まさかの正当化?!!!
ほなまた~。
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