インク沼なるものがあるらしい
万年筆に興味を持ち始めた頃、「インク沼」という言葉に出会いました。
なにやら危険な響きがあるではありませんか。
“これは要注意”と、心の中で赤信号を灯したのを、今でもはっきり覚えています。
でも、そこはやっぱり文房具好きの性(さが)。
「ちょっとお試しに」と、厳選した数色だけ使ってみることにしました。
そして私は、ある極端な結論にたどりついたのです。
「視認性が何より大事。黒一色で十分!」
こうして私は、一度インクの誘惑からは無事に生還した……はずでした。
それなのに、なぜ今?──再び足を踏み入れてしまった理由
ところが最近、どうも様子がおかしいのです。
気づけば手元のインクの数が、じわりじわりと増えている。
自分では「お試しに」と言い訳しつつ、気がつけば沼の深みに……。
特に罪深いのが、万年筆インクにつけられた名前の存在です。
「霧雨」とか「ぽつぽつ」とか「秋桜」とか「夜桜」とか……
万年筆インクの色味もさることながら、その名前がとても素敵で。
響きと色味の絶妙なマッチングに、私はすっかり魅了されてしまいました。
「押すな押すな」は押せという合図?
芸人さんのギャグで「押すな押すな」と言いながら、
実は「押せ押せ」な展開ってありますよね。
あれ、今の私だなあと。
「インク沼は危険」と自分に言い聞かせていたのは、
つまり「気になってる」「惹かれてる」サインだったのかもしれません。
人間って不思議なもので、「やめときなよ」と言われると、余計に気になるもの。
あの美しい名前と、揺らぎのある色味を前にしたとき、
もはや心のブレーキなんて意味を成しませんでした。
インクの世界は、単なる「色」ではなかった
改めて気づいたのは、インクって単なる「色」ではないということ。
そこには感情があり、風景があり、記憶や季節が封じ込められているように感じます。
例えば、同じ文字でも、
「霧雨グレー」で書くと静かな気持ちになるし、
「秋桜ピンク」で書けば、どこかほのぼのとやさしい気分に。
最後に──これは趣味か、それとも魔法か
黒一色で十分、と思っていたあの頃の私に教えてあげたい。
インクの世界は、想像以上に深く、美しく、豊かだった。
「色を選ぶ時間」も、「名前を眺める時間」も、
「紙にインクを載せて変化を楽しむ時間」も、
すべてが静かで贅沢な、自分のためのときめきの時間。
万年筆を使う楽しさとは、書くことそのものだけでなく、
その過程で生まれる小さな感動にあるのかもしれません。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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