雑記帳への憧れと現実のギャップ
「雑記帳を書きたい」という気持ちは、日常の些細なできごとやふとした気づきを丁寧にすくい上げて残しておきたい、という願いのあらわれです。
特別なことではない、たとえば朝飲んだお茶の味、ふとした景色の変化、家族との何気ない会話。
そんな小さな断片にも価値があると思うからこそ、雑記帳に書き留めておきたいと感じます。
しかし、実際に雑記帳を書こうとすると、それらの「些細さ」がむしろ重荷になってしまうことも……
あまりにも取るに足らないように思えてしまい、「こんなこと、わざわざ残すほどのことかな……」という気持ちが沸き起こり、
結局ページを破ってしまう。
そんなことを、これまで何度も繰り返してきました。
雑記帳に行き詰まったときは「メモ帳」でリセット
そんな私でも、ずっと続けられていることがあります。
それは、「メモ帳にメモする」ということ。
メモ帳は、気軽さと実用性を兼ね備えた優れたツールです。
用途は明確で、たとえば「○日までに提出する書類」や「買い忘れた日用品のメモ」など、明確な期限や目的がある情報を書き留めるために使います。
終わればすぐに破棄できるし、必要な部分だけ雑記帳やスマホアプリに転記しておくこともできます。
雑記帳には「残さなければいけない」というある種の義務感がついて回りますが、メモ帳は「残す必要がない」からこそ、むしろ気楽に続けられるのかもしれません。
なぜそれでも雑記帳に惹かれるのか
ここまで実用的なメモ帳がうまく回っているなら、もう雑記帳にこだわらなくてもいいはずなのに――。
そう思う反面、私の中で「雑記帳を書くこと」への憧れは消えません。
それはきっと、雑記帳が「実用のため」ではなく、「心のため」にあるからだと思うのです。
書く内容が役に立つかどうかは関係なく、自分だけの思考の軌跡、感情の痕跡として残しておきたい。
そんな思いが、雑記帳への未練になっているのでしょう。
メモ帳と雑記帳、それぞれのよさを大切に
メモ帳は、今の私の生活のなかで確実に役立ってくれている大切な存在です。
すぐに捨てられるからこそ、ためらわずに書ける。
期限があるからこそ、処理しやすい。
そんな「気軽さ」と「実用性の極み」が詰まったアイテムです。
それでも私は、いつか雑記帳を、もっと自然体で書けるようになりたいと思っています。
今はまだ、等身大の自分でうまく付き合えていないけれど、メモ帳で日々をしのぎながら、その時を待っている。
そんな心境です。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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