学生時代、ノートは最後まで使えないものだった
学生の頃の私は、何かに強い興味を持つことなく過ごしていました。
当然のように文房具にも関心はなく、学習用のノートを最初から最後まできっちり使いきった記憶も、ほとんど残っていません。
新しいノートを開いた最初の数ページは、いつも気持ちが新鮮で、「今度こそ頑張ろう」と意気込んでいました。
けれど、その気持ちは長く続かず、途中で息切れしてしまう。
そして「また最初から仕切り直したい」と思い、新しいノートに手を伸ばす――そんな繰り返しだったように思います。
息子の自主学習ノートと、二人三脚の日々
そんな私が今、小学生の息子と一緒に、自主学習ノートを何冊も使いきっています。
毎日1ページ、淡々と続ける学習。
使い始めは真っ白で張りのあるノートが、日を追うごとに厚みを増し、表紙は少しずつよれていきます。
その「使い込まれていく感じ」が、とてもいいなと思うのです。
新品の美しさではなく、積み重ねの痕跡が残るノート。
それを最後のページまで使いきったときの達成感を、私は中年になって初めて知りました。
結婚をきっかけに始まったノート遍歴
ノートに興味を持ち始めたのは、結婚してからです。
日々の出来事や気持ちを覚えておきたくなったのです。
これまで本当にいろいろなノートを試しました。
途中で使いきれず、メモ帳化したものも少なくありません。
試行錯誤の末、私自身の雑記帳も、自然と最後まで使いきれるようになってきました。
若い頃は「痕跡を残すこと」が怖かった
振り返ってみると、この変化には年齢も大きく関係している気がします。
若い頃の私は、自分の生きた痕跡が残ることが、とにかく嫌でした。
考えや感情を書き残すことに、強い抵抗感があったのです。
けれど結婚を経て、生活の中で起こる出来事や、自分の思考の癖と向き合いたいと思うようになりました。
対策を考えるためには、頭の中だけでは足りず、書き出すしかありませんでした。
書くことへの抵抗が薄れていった理由
最初は抵抗がありましたが、続けるうちに、だんだん気にならなくなりました。
「誰も私のノートなんて気にしていない」
そう実感できたことも大きかったと思います。
そして何より、ノートを書く楽しさや、使いきる喜びの方が、気恥ずかしさを上回るようになりました。
多少鈍感になったのかもしれませんが、その分、生きやすくなったと感じています。
ノートを使いきれる今の方が、生きやすい
ノートを最後まで使いきることは、単なる習慣ではなく、私にとっては心の変化そのものです。
書くことを受け入れ、積み重ねを肯定できるようになった今の方が、ずっと楽に生きられています。
若い頃には分からなかったこの感覚を、今こうして味わえていること。
ノートを楽しく使える今が、ありがたいなと思う今日この頃です。


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