10年ほど前、電子レンジを購入して間もない頃の出来事です。
あるとき、ドア付近についている小さな突起──いわゆる「ちょぼ」が、何かの拍子に折れてしまいました。
電子レンジ本体の加熱機能には何の問題もありません。
けれど、その小さな突起が折れただけで、「ドアが閉まった」と認識されなくなり、操作が一切できなくなってしまったのです。
たったそれだけのことで、使えなくなるなんて。
当時の私は、なんとも言えないやるせなさと、怒りに近い気持ちを抱きました。
本体は無事なのに、使えないという理不尽
家電としての性能はまったく損なわれていないのに、ほんの小さなプラスチックの突起が折れただけで、電子レンジはただの箱になってしまいました。
「こんな単純な構造が、こんなにも重要なのか」と驚いたのを覚えています。
日本の家電製品には絶大な信頼を置いています。丈夫で、長持ちして、精密で。
だからこそ、こんな原始的な部分が弱点になっていることが、余計に受け入れがたく感じました。
購入直後だったこともあり、なおさら納得がいきませんでした。
「これで使えないなんて、許さない」と思った
そこで私は、接着剤でその「ちょぼ」を元の位置に貼り付けました。
見た目はお世辞にもきれいとは言えません。
けれど、ドアが閉まったことを認識できるようになり、電子レンジは再び使えるようになりました。
それからというもの、だましだまし使い続けて、気づけば10年。
一度も不具合は起きていません。
加熱機能も、ボタン操作も、まったく問題なく動いています。
ふとした掃除の時間に思い出したこと
先日、電気ポットを拭いた濡れ布巾で、電子レンジの外側を拭き上げていたとき、この出来事をふと思い出しました。
「ああ、あのとき直しておいてよかったな」と。
あのとき諦めて処分していたら、きっと今ここにはこの電子レンジはありません。
たったひと手間。接着剤でくっつけただけ。
それだけで、10年という時間を延命できたのです。
壊れた=買い替え、ではなくてもいい
現代は、壊れたら買い替えるのが当たり前の時代です。
でも、本当にそうでしょうか。
・本体はまだ使える
・ほんの一部が壊れただけ
・少し工夫すれば使えるかもしれない
そんなケースは、実はとても多いのではないかと思います。
今回の「ちょぼ」もまさにそうでした。
完璧でなくても、使えればいいという発想
見た目は少し不格好。
でも、機能はまったく問題なし。
この状態を許容できたことで、結果的に10年間使い続けることができました。
完璧な状態でなくてもいい。
「使える」ことの価値を優先する。
この考え方は、家電だけでなく、日々の暮らし全体にも通じるものがあるように感じています。
接着剤で直した自分にいいね!
今振り返ると、あのときの自分に「グッジョブ」と言いたくなります。
壊れたからといってすぐに諦めなかったこと。
どうにかして使おうとしたこと。
その小さな判断が、10年という時間につながりました。
ちょっとくらい壊れても、使い続けられる。
そう思えると、暮らしの見え方が少し変わります。
物を長く使えて嬉しい
この電子レンジを見るたびに思います。
「まだ使える」という感覚は、節約やエコという言葉以上に、心の満足感を与えてくれるものだと。
壊れたら終わりではない。
少しの工夫で、物はまだまだ働いてくれる。
そんな経験が、日々の暮らしに小さな自信を与えてくれています。
これからも、この電子レンジは現役で使い続けていこうと思います。


コメント