桜の季節に思うこと
桜の季節ですね。
皆さんは桜がお好きでしょうか。
私は、年を重ねるにつれて、桜がとても好きになりました。
子供の頃は、特別な感情を抱いていた記憶があまりありません。
もしかすると、ただ覚えていないだけかもしれませんが、今のように心が動くことはなかったように思います。
不思議なもので、同じ景色でも、年齢やそのときの心の状態によって、見え方や感じ方は大きく変わるものですね。
家族で過ごす春のピクニック
先日、主人が「ピクニックに行こう」と提案してくれました。
そこで近くの公園へ、昼食を持って出かけることにしました。
簡単にサンドイッチを作り、それぞれ好きなパンを選んで買い足し、子供たちのリクエストでお団子も用意しました。
食事の時間になると、食欲旺盛な次男に向かって長男が一言。
「まさに花より団子だ!」
そんな何気ないやり取りに、思わず笑ってしまいました。
こうした日常の一コマが、あとから振り返ると宝物のように感じられるのだと思います。
桜とともに重なる記憶
気がつけば、子供たちが赤ちゃんの頃から、桜の季節には必ず一度はこの公園を訪れています。
私はすっかり忘れてしまっているのですが、主人は「次男はこの桜の木の下でおむつ替えをしたんだよ」と、当時のことをよく覚えています。
同じ場所に立ちながら、過去の時間がふと重なるような感覚。
それもまた、桜の持つ不思議な力なのかもしれません。
忙しさの中で気づく「心の余白」
実はその日も、やらなければならないことが頭の中にたくさんあり、どこか落ち着かない気持ちを抱えていました。
けれど、桜を眺めているうちに、不思議と心が静かにほどけていくのを感じました。
風に揺れる花びら、やわらかな光、子供たちの笑い声。
そうしたものに触れていると、「今ここ」に意識が戻ってくるような感覚になります。
日本には四季があり、その移ろいを肌で感じられることは、本当に豊かなことだと改めて思いました。
桜と万年筆、重なる贅沢な時間
桜を見ていると、なぜか万年筆のインクの色を思い浮かべることがあります。
淡いピンク、少しくすんだ紫、儚さを感じるグラデーション。
自然の色彩と、趣味である万年筆の世界がどこかで重なり合う瞬間です。
桜の記憶と、万年筆でゆっくりと文字を書く時間。
その二つが重なるとき、なんとも言えない贅沢な気持ちになります。
特別なことをしているわけではないのに、心が満たされる。
そんな時間が私は好きです。
幸せは自分の心が決める
そんなひとときを過ごしながら、ふとある言葉が思い浮かびました。
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」
これは、相田みつをさんの言葉です。
忙しさや環境に振り回されがちな日々の中でも、何を感じ、どう受け取るかは自分次第。
桜を見て心が安らいだあの瞬間に、この言葉の意味を少しだけ実感できた気がしました。
おわりに
何気ない日常の中にも、こうして心がほどける時間はきっとあります。
それに気づけるかどうか、味わえるかどうか。
その積み重ねが、「幸せ」と呼べるものになっていくのかもしれません。


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