ノートを書くのが好きです。
日記だったり、思いついたことのメモだったり、買い物リストだったり、時にはただの落書きだったり。
誰かに見せるためではなく、自分のためだけの小さなノートの世界。
けれどそれは、私にとってとても大切な時間なのです。
ところが、夫は私のノート活に対して、辛辣なコメントを投げてきます。
「また何くだらんことを。そんなことしてると、ドイツの将軍に殺されるぞ。」と……
——なぜなら、「無能な働き者は有害だから」だそうです(ゼークトの組織論より)。
でも私は、胸を張って言いたいのです。
「お言葉ですが、私にはノート活がちゃんと役立っております!」と。
なかでも特に助けられているのが、日記です。
もともと私は、記憶力があまりよろしくありません。
人の名前もすぐに忘れるし、ほんの数日前の出来事すら思い出せないこともある始末。
若いころは、そんな自分を認めたくなくて、賢そうな人に憧れていました。
「日記なんてかっこ悪い」「感情を文字にするなんて青臭い」
そう思っていたのも、ややこしいプライドのなせる業です。
でも、年を重ねると、いろんなことが自然と受け入れられるようになってきました。
「ああ、私は記憶力が乏しいし、そもそもちっとも賢くない。残念だなあ。」
そう認められるようになったのです。
むしろ、そういう自分をちょっと面白がれるようにもなってきました。
曇りなき眼で自分を見つめ直してみると、長年、自分の取り扱い方を間違えていたと気づきました。
カッコつけて無理するより、自分に合ったやり方をコツコツ続けていく方が、ずっとずっと生きやすい。
そうして始めた日記は、今では私の相棒です。
その日の行動や、失敗したこと、嬉しかったこと、モヤッとしたこと……。
どんなに小さなことでも書き残しておくと、あとで振り返ったときに、自分を客観的に見ることができるのです。
せっかく経験したことも、忘れてしまえばなかったことになってしまう。
覚えていてこそ、それは「自分の歴史」になる。
積み重ねていくことで、年を取るのが楽しくなってくる。
ちなみに夫は、他にもこんなことを言います。
「1万歩譲ってもアナログなんて。今どきはデジタルやろ。」
まあ確かに、スマホやアプリで日記をつける人も多いし、効率や検索性ではデジタルに軍配が上がるのかもしれません。
でも、私にとってはアナログでなきゃなのです。
紙にペンを走らせることで、心が整う。頭の中が静かにほどけていく。
ノートとペンでしか味わえない感覚が、そこにあるのです。
今日もノートを開いて、自分をちょっと整える時間を持とうと思います。
読んでくださってありがとうございます。
コメント