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失敗を活かすノート術:自責や苛立ちに飲まれないためのバレットジャーナル活用法

文具の余白

失敗した直後というのは、誰しも苦しいものです。
自責の念、怒り、苛立ち、諦め、そして何とも形容しがたい、ずっしりとしたもやもやに包まれ、息が詰まりそうになります(少し大げさですが、本当にそんな気分になる時、ありますよね……?)。

ですが私は、その感情の嵐を**バレットジャーナル風ノート(以下、バレジャ風ノート)**にそのまま書きつけることはしていません。


感情の嵐は裏紙へ──書き殴りジャーナリングの役割

感情のままに言葉を綴る「ジャーナリング」はとても大切だと思っています。
思うがまま、感じるままに書き出すことで、心の中のもやもやを可視化し、気持ちが整うこともあります。

ただ、それをバレジャ風ノートには書きません。
代わりに使うのは、裏紙です。

書き出すことそのものが目的なので、後から読み返すことはしません。
時間が経てば破棄します。
書いた内容に引きずられず、気軽に書ける点では、DAISOのPUノートよりも気軽。
なんといっても「書いたら捨てる前提」なので、心のブレーキが外れます。


バレジャ風ノートには、淡々と失敗を記すだけ

一方、バレジャ風ノートには、感情をそぎ落とし、箇条書きで淡々と失敗を記します

このスタイルには明確なメリットがあります。
例えば:

  • 振り返りやすい
  • 再び同じ失敗をしても、感情的な記述ではないためダメージが最小限
  • 「自分の傾向と対策」が見えてくる

感情に任せて書いた文章は、後から読み返すことが難しくなります。
過去の自分の言葉に心をかき乱され、再び傷つくことも……。
それを防ぐためにも、バレジャ風ノートでは感情は排除し、事実を客観的に記録するスタイルを貫いています。


一元化への憧れと挫折、そして今のスタイルへ

「ノートは一冊にまとめたい」──そう思ったことは何度もあります。
あれもこれも書きたいことを全部バレジャ風ノートにまとめれば、情報の一元管理ができて便利なはず、と。

ですが、それをやってしまうと、感情を書き殴ったジャーナリングの部分が足を引っ張ります。
読み返したくない部分が混ざると、ノート全体が“破棄対象”になってしまうのです。

そのたびに、一冊のノートを丸ごと処分してしまう自分にがっかりし、「やっぱり向いてないんだなあ」と落ち込むこともありました。

そこで、現在はノートの用途を分けるスタイルに落ち着きました。

  • 感情の排出 → 裏紙
  • 記録と振り返り → バレジャ風ノート

この使い分けにしてからは、どちらも無理なく続けられています。


最後に

ノートは「自分の鏡」だと思います。
どんなスタイルが正解かは、人それぞれ。
だからこそ、試行錯誤する時間そのものが、豊かな時間だと感じます。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
皆さんのノート生活にも、小さな発見と安らぎがありますように。

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