アナログ日記を続けていると、ふと立ちはだかる壁があります。
それは――物理空間の問題です。
■ 増えゆくノート、どうする?
ノートが、増えるんです。
あたりまえやろ、と突っ込まれそうですが、これは実際にやってみると切実な問題になります。
日々の記録を綴るノート。
読み返せば心が整うし、「あの頃の自分」と再会できる存在。
でも、1年1冊ペースでも5年で5冊、10年で10冊。
気づけば棚の一角が埋まり、さらに旅ノート、読書ノートなんかも加わって……。
■ 解決法?まずは“気にしない”
この空間問題に、どう立ち向かうか?
私の答えは、気にしないこと。
いや、そんなん解決法じゃないやん!と思われるかもしれませんが、大事なことでもあると思うんです。
現代はミニマリズムの時代。
デジタル管理でスマートに暮らすのが正解とされがちです。
でも、アナログにこだわるという選択は、ある意味で「空間を使うことへの覚悟」でもあります。
だからこそ、多少の物の増加には鈍感でいる勇気が必要なんじゃないかと。
空間の圧に負けて、好きなものを手放すのはもったいない。
■ それでも工夫は必要、自家製連用日記
とはいえ、何の工夫もしないと無限にノートは増えていきます。
自分の部屋も机もない私には、ノートに無限の空間を提供することはできません。
そこで私が実践しているのが――自家製連用日記です。
市販の連用日記(5年、10年もの)も魅力的ですが、私は自作で「約20年〜48年分」の記録が書き込めるノートを愛用中です。
1冊のノートに、同じ日付の記録を何年分も並べて書けるように工夫しています。
これがまた、省スペースで見返しやすい。
しかも、日々の記録が年単位で並ぶので、「去年の今日は何してた?」が一目でわかる。
この「横断的な記憶の旅」ができるのも連用日記の醍醐味です。
■ 書くことで、年を重ねる
第1回の記事でも触れましたが、私は記憶力がほとんどないと言っても過言ではありません。
でも、この日記があることで、自分の歩みを振り返り、「年を重ねる」という感覚を持てるようになったのです。
ところで、この自家製連用日記についてはまた、別の機会に詳しくお伝えできればと思っています。
■ 雑記帳問題、進行中。
実はこの連用日記の他にもいろいろとノートを運用中で、中でも雑記帳については扱いにまだ迷いがあります。
書いては破棄してを繰り返していたのですが、直近1年強分の雑記帳は手元にあります。
これをどう維持管理、もしくは整理破棄するのかという問題については、現在進行形で頭を悩ませています……。
■ 空間は取る。でも、心の居場所になる。
ノートは場所を取る。
でもその分、心に居場所をくれる。
だから今日も私は、1ページ分の空間と、少しの“鈍感力”を携えて、またペンを握るのです。
読んでくださって、ありがとうございます。
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