若い頃の勘違い
若い頃の私は、何にも興味を示さないことが格好いいと思っていました。
すべてを悟ったような顔をして、何事にも執着せず、空気のように静かに生きる。
そんな姿が知的で大人びているように見えていたのです。
今振り返ると、それは大きな勘違いでした。
もちろん当時は当時なりに一生懸命生きていましたし、若かったからこその考え方だったのでしょう。
けれど年齢を重ねた今は、何にも興味を持たないことよりも、何かに夢中になれることの方が、ずっと価値があるように感じています。
無感情でいることは知的なのか
昔の私は、感情を表に出さず、何にも心を動かされないことが賢さだと思っていました。
しかし実際には、人間は感情の生き物です。
嬉しいこともあれば、悔しいこともあります。
理不尽だと感じることもあれば、どうしても納得できないこともあります。
そうした感情を抱えながら生きていくのが人間なのだと思います。
大切なのは、モヤモヤや葛藤をなくすことではなく、それらに飲み込まれずに日々を過ごしていくことではないでしょうか。
感情を消すことではなく、感情と付き合いながら前へ進むこと。
そこに人間らしさがあるように思います。
好奇心を育てる
生きていれば、誰しも何かしら興味を持つものに出会います。
読書かもしれません。
手芸かもしれません。
文房具かもしれません。
勉強や仕事、スポーツや芸術かもしれません。
いずれにしても、最初から上手にできる人はいません。
誰もが初心者から始まります。
それでも少しずつ触れ続けていると、興味はやがて好奇心へと変わり、その好奇心が人生の新しい芽になっていくように思います。
芽は放っておいても育ちません。
水をあげるように時間を使い、日光を当てるように学び、時には失敗しながらも続けることで、少しずつ成長していくのでしょう。
私は若い頃、その芽を育てる努力をほとんどしていませんでした。
興味を持っても深掘りせず、失敗する前に諦めてしまうことも多かったように思います。
だからこそ今になって、何かを続けることの大切さを強く感じています。
泥臭い過程こそ価値がある
世の中には、結果だけを見ると華やかに見える人がたくさんいます。
けれど、その裏側には地道な積み重ねがあります。
毎日の練習。
失敗の繰り返し。
思うようにいかない時間。
そうした泥臭い過程を経て、ようやく形になっているのでしょう。
私たちはつい完成された姿ばかりに目を向けてしまいます。
しかし本当に大切なのは、その途中にある積み重ねなのかもしれません。
少しくらい格好悪くてもいい。
遠回りしてもいい。
何かを育てようとする姿勢そのものが、人生を豊かにしてくれるように思います。
以前の私なら、そんな姿を格好悪いと思っていたかもしれません。
けれど今は違います。
何かに夢中になり、失敗し、試行錯誤しながらも続ける姿は、一見すると格好悪く見えても、本当はとても格好いいことなのだと思います。
おわりに
若い頃の私は、何にも興味を示さないことが格好いいと思っていました。
しかし今は、その反対です。
何かに興味を持ち、学び、試し、失敗しながらも続けていくこと。
その積み重ねこそが、人それぞれの人生を形作っていくのだと思います。
年齢は関係ありません。
そう自分に言い聞かせながら、今日も新しいことに興味を向けてみる。
今日興味を持ったことが、明日の新しい芽になるかもしれません。
その芽を大切に育てながら、これからも少しずつ前へ進んでいきたいと思います。
多少泥臭くても、少しくらい格好悪くても。
今の私には、そんな生き方の方がずっと格好よく見えます。

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