先日、京都にある国宝・三十三間堂を訪れました。
三十三間堂といえば、1001体の仏像が並んでいることで知られています。
実際にその場所に立ってみると、想像していた以上の迫力でした。
そこに並んでいたのは、1001体の十一面千手千眼観世音。
同じように見える仏像がずらりと並んでいるのですが、よく見ると、どれも少しずつ違います。
一体一体が、人の手によって作られたものなのだと思うと、それだけで圧倒されました。
1001体の仏像を、一体ずつ作ったということ
私が特に驚いたのは、その「数」です。
1001体。
一体ずつ、人の手によって作られたものです。
説明によると、七十人余りの造仏師によって仏像が造られたそうです。
「これだけの数の仏像を、人の手で作り上げた」という事実には、途方もないものを感じます。
しかも、一体一体がとても繊細に作られています。
顔立ちや表情、衣の表現などを見ていると、そこには単なる作業ではなく、造仏師たちの技術や情熱が込められていたのではないかと思えてきます。
1001体という数字だけでも圧倒されるのに、その一体一体に「作った人」がいる。
そう考えると、目の前に並んでいる仏像の見え方が少し変わってきました。
平安時代から800年以上、受け継がれてきたもの
三十三間堂の歴史にも驚かされました。
平安時代に創建された後、一度焼失し、鎌倉時代に再建されています。
その再建には約16年もの歳月がかかったそうです。
そして、そこからさらに800年以上。
私たちは今、その仏像を目の前にしています。
800年前の人が作ったものを、800年以上後の私たちが見ている。
考えてみれば、とても不思議なことです。
造仏師たちは、自分たちが800年以上後の人間にその作品を見てもらうことを想像していたのでしょうか。
きっと、自分たちの持っている技術や信仰、思いを形にして残した。
その結果が、何百年もの時代を越えて、今の私たちの目の前にある。
そう考えると、なんとも言えない気持ちになりました。
お金では買えないもの
私は小さい頃から、なんとなく「お金があれば、幸せになれる」というような価値観の中で生きてきたように思います。
もちろん、お金は大切です。
生活するためにも必要ですし、お金があることで選択肢が増えることもあります。
けれど、三十三間堂を訪れて、ふと別のことを考えました。
世の中には、お金では買えないものが確かにあるのではないか、と。
三十三間堂に並ぶ1001体の仏像を見ていると、そこにあるのは単なる「物」ではないように感じました。
それを作った人たちの技術。
長い時間をかけて積み重ねられた仕事。
仏像を造ろうとした人々の信仰。
そして、それを後世に残していこうとした人々の思い。
そういった目に見えないものが、仏像という形になって残っているように感じたのです。
人の心は、形にして残せるのかもしれない
うまく言葉にすることができないのですが、三十三間堂を見ていると、「人の心を形に残す」ということについて考えさせられました。
人はいつかいなくなります。
その人が生きていた時間も、いつか過去になります。
けれど、その人が作ったものや、誰かに伝えたこと、誰かのためにしたことは、形を変えながら残っていくことがあります。
1001体の仏像も、まさにそうなのかもしれません。
800年以上前の人々の思いを、私たちは今、直接聞くことはできません。
それでも、彼らが残したものを見ることで、「何か」を感じることができます。
それは、お金の価値とはまったく違うものです。
長い時間をかけて人の手によって作られ、受け継がれ、そして今も誰かの心を動かしている。
そういうものの価値もあるのだと思いました。
何百年もの時間と、人の技術と、信仰と、後世に残したいという思い。
それらが積み重なって、今、目の前に存在している。
そう思うと、三十三間堂という場所そのものが、800年以上の時を越えた「人から人への贈り物」のようにも感じられました。
これから先、何百年も経ったときにも、誰かがこの仏像を見て、何かを感じるのでしょうか。
そう考えると、歴史というものが少し身近に感じられた、そんな三十三間堂への訪問でした。

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