幸せについて考えてみた|今あるものに気づくということ

日々のこと

「幸せとは何だろう。」

そんな問いを、ふと考えてみました。

たとえば、安全な国に生まれ、経済的に不自由のない家庭で育ち、健康で、才能にも恵まれている人を見れば、「きっと幸せなんだろうな」と思う人は少なくないでしょう。

私もそう思います。

自分にはないものを持っている人を見ると、「もし自分にもそれがあったら、もっと幸せだったかもしれない」と想像してしまいます。

けれど、実際にその立場にいる本人が、必ずしも幸福を感じているとは限りません。

周りから見れば恵まれているように見えても、本人は大きなプレッシャーを抱えていたり、自分にしか分からない苦しみを抱えていたりすることがあります。

逆に、決して裕福とは言えない暮らしでも、毎日を穏やかに楽しみ、「私は幸せです」と言える人もいます。

幸せは、持っているものの量だけでは決まらないのだと思います。

人は「あるもの」を見失いやすい

不思議なことに、人は何かを手に入れると、その価値に慣れてしまいます。

健康でいられること。

家族がいること。

毎日食事ができること。

安心して眠れる家があること。

今日も目が覚めたこと。

どれも、本当は奇跡のようにありがたいことなのに、それが毎日続くと、「あって当たり前」の存在になってしまいます。

まるで空気のように。

空気は普段意識しません。

しかし、息が苦しくなった瞬間、その存在の大きさに気づきます。

幸せも、それとよく似ている気がします。

失って初めて、その価値を知る。

だからこそ、失う前に気づけたら、それだけで人生は少し豊かになるのかもしれません。

比べるほど、幸せは遠ざかる

つい、人と比べてしまうことがあります。

「あの人は頭がいい。」

「あの人はきれいだ。」

「あの人はお金がある。」

「あの人は恵まれている。」

そう考え始めると、自分に足りないものばかりが目につきます。

でも、誰かと比べて手に入れた幸せは、もっと上を見つけた瞬間に消えてしまいます。

比較には終わりがありません。

だから、本当の幸せは比較の中にはないのだと思います。

自分が持っているものを、自分のものとして認めること。

「これでいい」と諦めるのではなく、「これも私の人生なんだ」と受け入れること。

そこからしか始まらない幸福があるように感じます。

幸せは「受け入れること」から

生まれ育った環境も、得意なことも、苦手なことも、人それぞれ違います。

努力で変えられるものもあります。

一方で、どうしても変えられないものもあります。

変えられないものに心をすり減らし続けるより、自分という存在を一度受け入れてみる。

「私は私でいい。」

そう思えることは、決して現状に満足して成長を止めることではありません。

むしろ、自分を否定し続けるより、ずっと前向きなスタート地点なのではないでしょうか。

自分を受け入れた上で、今あるものに感謝する。

その土台ができて初めて、「では、私はこれから何をしたいだろう」と目を向けられるような気がします。

やりたいことは、探し続ければいい

やりたいことを、人生の早い段階で見つかる人もいれば、何十年かけても見つからない人もいます。

途中で迷ったり、遠回りしたり、立ち止まったりしまう日もあるでしょう。

それでも、その時間が無駄になるとは限りません。

振り返れば、迷った時間があったからこそ見えた景色があります。

苦しんだからこそ、人の痛みに気づけるようになることもあります。

人生に無駄な経験はない、とまでは言い切れません。

けれど、どんな経験にも意味を与えられるのは、自分自身なのだと思います。

幸せは、今この瞬間にもある

私は最近、「幸せはゴールではなく、見つけ方なのではないか」と思うようになりました。

何かを手に入れたら幸せになる。

成功したら幸せになる。

もっとお金があれば幸せになる。

もちろん、それらも幸せの一つです。

でも、それだけを追い続けると、「まだ足りない」が終わりません。

だから私は、今あるものに目を向けたいと思います。

日々の何気ない小さな幸せを見つけられる人は、きっと人生の中で何度でも幸せになれるのではないでしょうか。

そして、もし今は苦しみの中にいるとしても、焦らなくていい。

紆余曲折があってもいい。

遠回りをしてもいい。

あきらめないこと。

くじけないこと。

それぞれのペースで、それぞれの幸せを見つけながら、人生を歩んでいけたらと思います。

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