高学歴の人への憧れ
私は昔から、高学歴の方に対して憧れの気持ちを持っています。
もちろん学歴だけで人の価値が決まるとは思っていませんし、高学歴だから必ず立派な人だとも考えていません。
それでもなお、「すごいな」と感じる気持ちがあります。
なぜそう感じるのかを改めて考えてみると、単純に頭が良いからというだけではないように思います。
私が憧れているのは、高学歴という結果そのものではなく、その結果に至るまでの過程なのかもしれません。
受験勉強や資格取得など、何かを成し遂げるためには、自分自身と向き合う時間が必要です。
学校や塾の先生、友人、家族の支えはもちろんあるでしょう。
しかし最終的には、自分が机に向かい、自分の苦手と向き合い、自分を律しながら努力を積み重ねる必要があります。
その過程に耐え抜いたこと自体が、私にはとても尊いものに見えるのです。
勉強だけではない「孤独な努力」
とはいえ、これは何も勉強に限った話ではありません。
スポーツでも、芸術でも、仕事でも同じだと思います。
何かを上達させようと思ったとき、人は必ず自分自身と向き合う時間を持つことになります。
野球選手であれば素振りを繰り返し、ピアニストであれば練習を重ね、作家であれば文章を書き続けます。
人から見えない場所での積み重ねがあってこそ、結果が生まれます。
その過程は決して華やかなものではありません。
むしろ地味で、単調で、時には孤独です。
だからこそ、何か一つのことを長期間続けられる人に対して、私は尊敬の気持ちを抱きます。
高学歴の方を見ると、そのような努力の時間をある程度長く経験してきたのだろうと想像してしまうのです。
私自身が途中で諦めてしまったこと
一方で、自分自身を振り返ると、そこまで頑張り切れなかったという思いがあります。
勉強に対してもそうですし、その他のことについても、「もう少し頑張れたのではないか」と思う場面が少なくありません。
集中力。
突破力。
やり遂げる力。
忍耐力。
そういったものが自分には足りなかったのではないかと考えることがあります。
もちろん、当時の自分なりには精一杯だったのでしょう。
今だからこそ冷静に振り返れるだけで、その時々には事情もありました。
そして、その選択の積み重ねが今の人生につながっています。
だから過去を否定したいわけではありません。
むしろ、あの頃の自分がいたから今の自分がいるのだと思います。
それでも時折、「もしもっと頑張れていたらどうなっていただろう」と考えてしまうことがあります。
年下の方々の活躍
最近では、自分よりずっと年下の方々が活躍している姿を目にする機会も増えました。
難関大学を卒業し、専門分野で成果を出し、社会で活躍している若い人たち。
そうした方々を見ると、純粋にすごいなと思う反面、少しだけ肩身の狭い気持ちになることもあります。
自分は何をしてきたのだろう。
もっと頑張れたのではないか。
そんな思いが頭をよぎることもあります。
けれど、よく考えてみれば、人それぞれ歩いてきた道は違います。
比べる相手を間違えれば、どこまでも苦しくなってしまいます。
大切なのは、過去の誰かや現在の誰かと比較することではなく、昨日の自分と比べることなのかもしれません。
憧れを前向きな力に変えたい
憧れという感情は、ときに苦しさを伴います。
自分にないものを見せつけられるような気持ちになることもあります。
しかし、憧れは決して悪い感情ではないと思うのです。
本当にどうでもいいものには、人は憧れません。
憧れがあるということは、自分の中に「そうなりたい」という願いがあるということです。
ならば、その気持ちを落ち込みの材料にするのではなく、前向きなエネルギーとして使いたいと思います。
興味のある本を少し読んでみる。
新しいことを学んでみる。
毎日少しでも継続してみる。
そんな小さな積み重ねでも、自分が憧れる人たちに近づく一歩になるかもしれません。
人生今日が一番若い日
過去を変えることはできません。
しかし、今日からの行動は変えることができます。
人生今日が一番若い日。
ただ、憧れるだけで終わるのではなく、その気持ちを自分の成長につなげていきたいなと思います。
集中力も、忍耐力も、継続する力も、ある日突然手に入るものではありません。
小さな挑戦を積み重ねる中で、少しずつ育っていくものなのでしょう。
私もこれから、自分なりのペースで学び続けたいと思います。
憧れの人になることはできなくても、昨日の自分より少し成長した自分にはなれるはず……

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