子供のドリルの丸付けをしていて思ったこと
私は普段、小学生の子供たちのドリルの丸付けをしています。
解答を見ながら正誤を確認し、間違いがあれば直しを促す。
日常の一コマですが、最近になって少し変化がありました。
子供たちが英検や漢検を受験したらどうだろうと思い、まずは自分で問題を解いてみることにしたのです。
英検の問題を開き、漢検の問題を解く。
すると、思いがけず懐かしい感覚がよみがえってきました。
「ああ、そういえば勉強ってこういうものだったな」
丸付けをするのと、自分で問題を解くのとでは、似ているようでまったく違いました。
問題と一対一で向き合う感覚
丸付けをしているときも頭は使っています。
答えを確認し、採点し、子供の理解度を推測する。
決して何も考えていないわけではありません。
けれど、自分で問題を解くとなると話は別でした。
目の前の問題文を読み、自分の知識を引っ張り出し、考え、迷い、答えを出す。
誰かの答えを確認するのではなく、自分自身が答えを探しに行く。
その感覚がとても新鮮でした。
問題と一対一で向き合っているような感覚。
学生時代には当たり前だったはずなのに、いつの間にかずいぶん遠ざかっていたようです。
頭を使った後の独特な疲労感
問題を解き終えた後、なんとも言えない疲労感がありました。
もちろん体を動かしたわけではありません。
けれど、確かに疲れている。
たとえるなら、筋トレをした後の疲労感に近いものかもしれません。
体ではなく、頭の筋肉を使ったような感覚です。
そう考えると、「脳トレ」という言葉は実によくできた表現だなと思います。
普段の生活でも、それなりに頭は使っています。
家事の段取りを考えたり、子供の予定を管理したり、買い物の計画を立てたり。
むしろ日常は、細かな判断の連続です。
しかし、それらと問題を解くことは少し違うように感じました。
勉強が楽しかったのはいつだっただろう
問題を解きながら、ふと昔のことを思い出しました。
私は勉強が楽しいと思っていた時期がありました。
それは小学生の頃です。
新しい漢字を覚えること。
計算問題が解けるようになること。
知らなかったことを知ること。
純粋に面白かった記憶があります。
そして、それと同時に一生懸命でもありました。
ところが、中学生、高校生と成長するにつれて、少しずつ何かが変わっていったように思います。
勉強そのものを楽しむというより、
「勉強ができる人だと思われたい」
「成績が良い方が評価される」
そんな気持ちが大きくなっていきました。
勉強そのものよりも、その先にある評価や結果の方が気になるようになったのです。
もちろん、それが悪いわけではありません。
受験もありますし、進路もあります。
現実的な理由はたくさんあります。
けれど、いつの間にか「学ぶ楽しさ」よりも「評価されること」が前面に出ていたような気がします。
大人になって取り戻した小さな学びの楽しさ
今回、英検や漢検の問題を解いてみて、不思議なことに小学生の頃の感覚を少し思い出しました。
解けるとうれしい。
間違えると悔しい。
知らないことがあると気になる。
ただ、自分が問題と向き合っているだけです。
だからこそ純粋に楽しいのかもしれません。
まとめ|勉強は結果だけではなく過程も面白い
問題と向き合い、考え、答えを探す。
その過程には、日常生活とは少し違う頭の使い方があります。
そして、その後には心地よい疲労感があります。
久しぶりに「勉強する楽しさ」に触れていたような気がします。

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