私は結婚して11年目になります。
使っている洗濯ピンチ付きハンガーも、その頃に100円ショップで購入したものです。
特別お気に入りだったわけでもなく、こだわって選んだわけでもありません。
ただ毎日の洗濯の中で使い続け、気が付けば11年という月日が流れていました。
ところが最近になって、その洗濯ばさみたちが次々と折れ始めたのです。
ポキッ。
また別の日にも、ポキッ。
こちらが折れたと思ったら、今度はあちらが折れる。
まるで順番を待っていたかのように、あちこちで一斉に寿命を迎え始めました。
プラスチックは永遠ではありません。
毎日の紫外線や風雨にさらされ、少しずつ少しずつ傷んでいたのでしょう。
今まで気付かなかっただけで、その劣化は何年も前から静かに進んでいたのだと思います。
幸い、家には予備の洗濯ばさみがありました。
折れたものを外して、新しいものを付ける。
その作業を繰り返しながら、今もそのハンガーを使っています。
その姿を見ていると、ふと思うことがあります。
形あるものは壊れる。
昔から言われている、ごく当たり前の言葉です。
けれど、当たり前すぎて普段は忘れています。
食器も、本も、家具も、家電も。
新しく手にした時は、ずっとそこにあるような気がしてしまいます。
しかし実際には、すべて少しずつ終わりへ向かっています。
それはモノだけではありません。
私たち人間も同じです。
ある日突然ではなくても、気付かないところで少しずつ変化しているのでしょう。
若い頃と比べて疲れやすくなったり、無理がきかなくなったり。
見えないところで時間は確実に積み重なっています。
洗濯ばさみには耐久年数があります。
私には寿命があります。
もちろん比べるようなものではありません。
けれど、「いつまでも続くわけではない」という点では、どこか似ているような気がします。
折れた洗濯ばさみは交換できます。
予備があれば付け替えられます。
けれど私の命には替えがありません。
終わりが来たら、それで終わりです。
永遠に続かないからこそ、今日という一日にも意味が生まれるのかもしれません。
朝起きて洗濯をすること。
家族と言葉を交わすこと。
本を読むこと。
何かを学ぶこと。
そんな何気ない時間も、限りがあるからこそ尊いのでしょう。
今日もまた一つ、洗濯ばさみが折れました。
ポキッという小さな音。
それはただのプラスチックが壊れる音です。
けれどその音を聞くたびに、私は少しだけ立ち止まります。
今日という日は、二度と戻らない。
そう考えると、干したばかりの洗濯物が風に揺れる景色まで、少し違って見えるのでした。

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