先日、旗当番の日のことです。
朝の通学時間帯、横断歩道で子どもたちの安全を見守る30分間。
その30分の中で、私はスマホの画面を割ってしまいました。
ほんの一瞬の出来事でした。
ポケットから出した瞬間だった
子どもたちの姿が見えなくなり、少し手持ち無沙汰になった時間がありました。
そのとき、ポケットに入れていたスマホを取り出そうとしました。
ところが――。
手から滑り落ちたスマホは、アスファルトの上へ。
「しまった」
そう思ったときにはもう遅く、画面にはひびが入っていました。
わずか数秒。
たったそれだけの出来事でした。
悪意はなくても後悔は残る
スマホを落とそうと思ったわけではありません。
もちろん画面を割りたかったわけでもありません。
そこにあったのは悪意ではなく、不注意でした。
だからこそ、余計につらい。
「あのとき取り出さなければ」
「もっと丁寧に扱っていれば」
そんな考えが何度も頭をよぎります。
失敗をした直後というのは、不思議なほど時間を巻き戻したくなるものです。
けれど現実は巻き戻せません。
割れた画面は、何事もなかったかのようには戻らないのです。
思い返せば似た経験がある
こうした経験は今回が初めてではありません。
振り返ると、過去にも「ちょっとした不注意」で失敗したことが何度もありました。
急いでいて確認を怠った。
大丈夫だろうと思っていた。
少しくらいなら問題ないと思った。
その瞬間は小さな判断でも、後から大きな後悔につながることがあります。
人は大きなミスよりも、むしろ小さな油断で失敗することが多いのかもしれません。
ニュースの向こう側にもある「不注意」
ニュースを見ていると、事故やトラブルの報道を目にします。
もちろん故意による事件もあります。
けれど、中には誰かが傷つけようと思ったわけではなく、不注意が引き金になったものも少なくありません。
確認不足。
思い込み。
気の緩み。
ほんの少しの判断ミス。
誰にでも起こり得るものだからこそ怖いのだと思います。
被害者になることもつらい。
けれど、不注意によって誰かを傷つけてしまう加害者になることも、同じくらいつらいことです。
スマホを割った程度で済んだからよかった。
そう考えることもできます。
もしこれが人に関わることだったら。
そう思うと、今回の出来事は小さな警鐘だったのかもしれません。
注意深く生きる
割れた画面を見るたびに少し落ち込みます。
正直に言えば、見るたびにあの日の後悔も思い出します。
けれど、その傷があるからこそ思い出せることもあります。
「注意深く生きること」。
派手な目標ではありません。
誰かに褒められることでもありません。
けれど、毎日の暮らしを支える大切な姿勢だと思います。
慌てないこと。
確認すること。
少しだけ丁寧に行動すること。
そんな当たり前の積み重ねが、自分や周囲を守ることにつながるのでしょう。
割れたスマホは元には戻りません。
……いや、正確には修理に出せば戻るのでしょうけれど。
それなりの出費を思うと、しばらくはこの傷と付き合うことになりそうです。
画面を見るたびに少しだけ反省しながら、もう少し注意深く生きていこうと思います。

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