先日、愛用しているお気に入りのiwakiのガラス容器を割ってしまいました。


毎日のように気に入って使っていたものだったので、割れてしまったこと自体が、もちろん残念でした。
「ああ、割れてしまった……」と落ち込みました。
ところが、そのとき私が気になってしまったのは、ガラス容器が割れたことだけではありませんでした。
その直前に、自分があることについて判断をしていたのです。
そして、ふと、
「もしかして、さっきの判断に対する嫌な予感なのかな?」
そんなことを考えてしまいました。
ガラスが割れただけなのに、いろいろ考えてしまう
冷静に考えてみれば、ガラス容器を落として割ってしまった。
ただ、それだけの出来事です。
けれど、人間というのは不思議なもので、何か気になることがあると、別の出来事まで関連付けて考えてしまうことがあります。
「ちょうど今、こんなことが起きた」
「もしかしたら、何か意味があるのかもしれない」
「これは、やめておいたほうがいいというサインなのかも」
そんなふうに、出来事と出来事の間に、自分で意味をつくってしまうことがあります。
今回の私も、まさにそうでした。
お気に入りのガラス容器が割れたことよりも、その出来事をきっかけに、自分の判断まで不安になってしまったのです。
結局、その判断には何も問題がなかった
その後、時間が経ってみると、直前に私が判断したことには、特に問題はありませんでした。
ガラス容器が割れたことと、その判断には、何の関係もありません。
ただ、容器が割れただけ。
それなのに私は、一時的に「不吉な予感なのでは?」と考えて、自分で自分を不安にさせていました。
そう考えると、なんだか少しもったいなかったなと思います。
お気に入りの容器が割れてしまった。
それだけでも十分に悲しい出来事だったのに、そこへ自分で「悪い意味」を付け加えてしまったからです。
出来事に意味をつけるなら、自分にプラスになる方向で
もちろん、起こった出来事から何かを学ぶこと自体は、悪いことではないと思います。
例えば、物を落としてしまったなら、
「次からは両手で持とう」
「置き場所を変えたほうがいいかもしれない」
と考える。
そんなふうに、出来事を今後に役立てるのであれば、それは自分にとってプラスになります。
今回のことから私が思ったのは、
「出来事を関連付けて考えるなら、それが自分にとってプラスになるかどうかを考えてみよう」
ということでした。
何かと何かを結びつけて考えた結果、
「次はこうしてみよう」
「これは気をつけよう」
と前向きになれるのであれば、それも一つの考え方です。
でも、
「何か悪いことが起こるかもしれない」
「さっきの判断は間違っていたのかもしれない」
「これは不吉なサインなのでは?」
と、自分を不安にさせるだけなら。
わざわざその考えを採用しなくてもいいですよね。
ガラス容器が割れた。それ以上でも、それ以下でもない
お気に入りのガラス容器が割れてしまって、悲しかったです。
でも、それはそれ。
その直前にした判断が正しかったかどうかとは、別の話です。
「ガラス容器が割れた」という一つの出来事に、「不吉な予感」という意味まで自分で追加する必要はありませんでした。
起こったことは、起こったこととして受け止める。
そこに余計な意味をつけて、自分を苦しめない。
それだけでも、少し気持ちが楽になる気がします。
お気に入りのiwakiのガラス容器を失ったことは残念でしたが、今回のことで、改めて、
自分を不安にさせるような関連付けは、しなくてもいい。
これから何か嫌なことが起きたときには、すぐに別の出来事と結びつけるのではなく、
「これは、ただ起こったことなのかもしれない」
と、一度立ち止まって考えてみようと思います。
そして、どうせ意味をつけるのであれば、自分を追い込むためではなく、自分のこれからに役立つような意味をつけたい。
今回割れてしまったガラス容器の代わりに、そんな考え方を一つ手に入れたと思えば、少し救われる気がします。

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