「見ているつもりなのに、実は見えていなかった。」
私は先日、小学2年生の次男と一緒に工作をしているときに、「見ること」と「観察すること」は全く違うのだと改めて感じました。
そのきっかけは、段ボールで作るスマートフォンでした。
段ボールでスマートフォン作りが始まった
小学2年生の次男は、工作が大好きです。
ある日、「スマートフォンを作りたい」と言って、段ボールを切り始めました。
ただ形を似せるだけではありません。
本物のスマートフォンを横に置き、画面まで忠実に再現しようとします。
アプリのアイコンの形や並び、ボタンの位置など、一つひとつ確認しながら、とても丁寧に描いていました。
自分で描くのが難しい部分だけ、「お母さん、ここ書いて」と頼まれます。
毎日見ているはずなのに、描けなかった
頼まれた部分を描こうとして、私もスマートフォンの画面をじっくり見ました。
毎日何度も見ている画面なのに、いざ描こうとすると細かな部分が全く分かりません。
「このアイコンって、こんな形だったんだ。」
「配置はこうなっていたのか。」
今まで見えているつもりだったものが、実はほとんど認識できていなかったことに気付きました。
毎日見ていることと、細部まで観察することは、まるで別物だったのです。
「見る」と「観察する」は何が違うのか
今回改めて感じたのは、この二つの違いです。
見ることは、視覚に入れること。 目で事物の存在などを捉えること。
一方で、観察することは、物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること。
例えば、毎日通る道でも、「花は何色だった?」「標識はいくつあった?」と聞かれると答えられないことがあります。
見てはいるけれど、観察はしていないからです。
反対に、何かを描こうとしたり、作ろうとしたりすると、一気に見る目が変わります。
必要だからこそ、細部まで意識が向きます。
子どもの集中力は「やりたい」から生まれる
次男は、「スマートフォンを作りたい」という思いを持っていました。
だからこそ、画面を何度も見比べ、細かな違いまで確認しながら描き進めます。
誰かに「よく見なさい」と言われたわけではありません。
本人の内側から自然に生まれた意欲が、集中力につながっていました。
その姿を見ていて、とてもいいなと思いました。
子どもは興味のあることに対して、本当に驚くほどの集中力を発揮します。
その集中している時間そのものが、観察力や考える力、表現する力を育てているのだと感じました。
親として思うこと
親としては、もちろん勉強も大切だと思っています。
勉強ができれば、将来の選択肢が増えたり、自分の世界を広げたりできる場面はたくさんあるでしょう。
だから、「勉強も頑張ってほしい」という気持ちはあります。
でも、それと同じくらい大切なのが、本人の興味や関心、そして「やってみたい」という意欲ではないでしょうか。
好きだから夢中になれる。
夢中になるから観察する。
観察するから新しい発見があり、さらに興味が深まる。
そんな良い循環が生まれるような環境を、親として少しでも用意できたらいいなと思いました。
工作でも、料理でも、読書でも、子どもが心から「やってみたい」と思えることには、大きな学びが詰まっているなと改めて感じました。
学びは「知りたい」から始まる
今回、次男の工作を見ながら改めて思いました。
学びとは、誰かにやらされるものではなく、「知りたい」「作りたい」「やってみたい」という気持ちから始まるものなのだと。
もちろん、すべての勉強を好きになれるわけではありません。
それでも、一つでも夢中になれるものがある子は、その経験を通して「観察する力」や「考える力」を身につけていけるのではないでしょうか。
大人になると、「毎日見ているから知っている」と思い込んでしまうことがあります。
でも、じっくり観察してみると、新しい発見は意外と身近なところに隠れているかもしれません。
私自身も、次男のおかげで「見る」と「観察する」の違いを改めて教えてもらいました。

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